ebekoです。
「お笑い芸人がここまで偉くなったのは、ビートたけしのおかげだ」と聞いたことがある。
たけしが司会をやり、映画を撮り、様々な番組を生み出したからだという。
その人によるとそれまでの芸人は、常に歌手や俳優の下の立場で、芸能界では最下層だった。
たけしが、今の芸人の地位をつくりあげたのだと。
初めて聞いた時は「なるほどな」と納得した半面、最近ひっかかる部分が出てきた(別にたけしがすごいわけじゃない、という話ではなくて)。
私が見ている限り、その前から活躍していた芸人達が、芸能界の中で虐げられていたとはどうも思えないからだ。
それより前の世代で有名なのは、コント55号、ドリフ、てんぷくトリオ、クレージーあたりだと思う。
もちろんバリバリ番組を持って、司会をやって一世を風靡していた。
歌手をゲストとして呼ぶこともよくあった。
その中では、いかりや長介や欽ちゃんが「ボス」として目立っていた。
歌手たちはむしろ番組の中で、スカートめくられるとかいろんなひどい目にあっていた。
松田聖子とか。
クレージーの植木等なんか、森光子や坂本九をコントに巻き込んでたくらいだ。どう考えても植木のほうが立場は上に決まっている。そりゃ芸歴の長さもあるけど。
さらに上の世代の、由利徹もエノケンも一流扱いだったと思う。
こんな前例があるのに、なぜたけしが芸人の地位を引き上げた、という考えが生まれたのか。
多分、冒頭の「たけしのおかげ論」の人は、「お笑い芸人とコメディアン(喜劇役者)は別」という考えを持っていたのじゃないか。
厳密にいえば、ドリフとクレージーは出身を考えると、あくまでコミックバンド(兼俳優)。
コント55号とてんぷくトリオは喜劇出身だから、コメディアン。
それに対してたけしは、時の漫才ブームに乗っかって出てきた、下町の浅草から出てきた芸人という背景があったわけだ(実際は、コント55号も浅草出身なんだけど)。
今までとは違った、危ない風刺ネタを中心としたスタイル。アダルトなネタも使う下品さ。
そこに一種の今までの笑いを仕事としてきた人との、毛色の違いがあったんだと思う。
で、その時期に出てきた人を、少しの軽蔑の思いも含め「お笑い芸人」と呼ぶようになったのだと思う。その後のリアクション芸人とか、学校出身芸人も含め。
加えてそのころ、お笑い芸人が過激なことをしたり、ひどい目に合うような(知性のない)番組が多くなっていって、地位の低い人たちとして見えたのではないか。あくまで想像だけど。
あともうひとつ考えたのが、今よりも俳優、中でも時代劇スターや映画スターの地位が圧倒的に高かったこと。
例えば長谷川一夫、若山富三郎、石原裕次郎、美空ひばり。このレベルの人たちは確かにお笑い芸人と並んでいることをほぼ見たことがない。というかバラエティではまず見ない。
テレビに出たとしても、せいぜい真面目な対談番組。
相手をするのは「司会者(アナウンサー)」である。
と考えると、芸人の地位が低かったのではなく、大スターが俳優の地位をとんでもないことにしていたのではないか、と思うのだ。
大雑把に言うと、たけしより上の世代は高度な芸の「コメディアン」「漫才師」。
たけし含めたそれ以降は、安い芸の「お笑い芸人」という風な比べ方をされたのだ。
そういう考え方をすると、お笑い芸人が偉くなったという話にも納得がいく。
昨日、爆笑問題の太田が、東京の漫才師について「セントルイスが道を拓いて、B&Bが道路を作って、その上をツービートがロールスロイスで走った」なんて話をしてた。
「全員がすごい。誰が一番とか言えないよね」と言っていた。
今の文化を見る限り、お笑い芸人の地位が低いなんてことは決して言えないと思う。
追記
若山富三郎と三船敏郎は良く考えたら全員集合に出てましたね。あと丹波哲郎も晩年割とバラエティ出てた気がする。
つまり、その、偉くても出る人は出るってことで。
「お笑い芸人がここまで偉くなったのは、ビートたけしのおかげだ」と聞いたことがある。
たけしが司会をやり、映画を撮り、様々な番組を生み出したからだという。
その人によるとそれまでの芸人は、常に歌手や俳優の下の立場で、芸能界では最下層だった。
たけしが、今の芸人の地位をつくりあげたのだと。
初めて聞いた時は「なるほどな」と納得した半面、最近ひっかかる部分が出てきた(別にたけしがすごいわけじゃない、という話ではなくて)。
私が見ている限り、その前から活躍していた芸人達が、芸能界の中で虐げられていたとはどうも思えないからだ。
それより前の世代で有名なのは、コント55号、ドリフ、てんぷくトリオ、クレージーあたりだと思う。
もちろんバリバリ番組を持って、司会をやって一世を風靡していた。
歌手をゲストとして呼ぶこともよくあった。
その中では、いかりや長介や欽ちゃんが「ボス」として目立っていた。
歌手たちはむしろ番組の中で、スカートめくられるとかいろんなひどい目にあっていた。
松田聖子とか。
クレージーの植木等なんか、森光子や坂本九をコントに巻き込んでたくらいだ。どう考えても植木のほうが立場は上に決まっている。そりゃ芸歴の長さもあるけど。
さらに上の世代の、由利徹もエノケンも一流扱いだったと思う。
こんな前例があるのに、なぜたけしが芸人の地位を引き上げた、という考えが生まれたのか。
多分、冒頭の「たけしのおかげ論」の人は、「お笑い芸人とコメディアン(喜劇役者)は別」という考えを持っていたのじゃないか。
厳密にいえば、ドリフとクレージーは出身を考えると、あくまでコミックバンド(兼俳優)。
コント55号とてんぷくトリオは喜劇出身だから、コメディアン。
それに対してたけしは、時の漫才ブームに乗っかって出てきた、下町の浅草から出てきた芸人という背景があったわけだ(実際は、コント55号も浅草出身なんだけど)。
今までとは違った、危ない風刺ネタを中心としたスタイル。アダルトなネタも使う下品さ。
そこに一種の今までの笑いを仕事としてきた人との、毛色の違いがあったんだと思う。
で、その時期に出てきた人を、少しの軽蔑の思いも含め「お笑い芸人」と呼ぶようになったのだと思う。その後のリアクション芸人とか、学校出身芸人も含め。
加えてそのころ、お笑い芸人が過激なことをしたり、ひどい目に合うような(知性のない)番組が多くなっていって、地位の低い人たちとして見えたのではないか。あくまで想像だけど。
あともうひとつ考えたのが、今よりも俳優、中でも時代劇スターや映画スターの地位が圧倒的に高かったこと。
例えば長谷川一夫、若山富三郎、石原裕次郎、美空ひばり。このレベルの人たちは確かにお笑い芸人と並んでいることをほぼ見たことがない。というかバラエティではまず見ない。
テレビに出たとしても、せいぜい真面目な対談番組。
相手をするのは「司会者(アナウンサー)」である。
と考えると、芸人の地位が低かったのではなく、大スターが俳優の地位をとんでもないことにしていたのではないか、と思うのだ。
大雑把に言うと、たけしより上の世代は高度な芸の「コメディアン」「漫才師」。
たけし含めたそれ以降は、安い芸の「お笑い芸人」という風な比べ方をされたのだ。
そういう考え方をすると、お笑い芸人が偉くなったという話にも納得がいく。
昨日、爆笑問題の太田が、東京の漫才師について「セントルイスが道を拓いて、B&Bが道路を作って、その上をツービートがロールスロイスで走った」なんて話をしてた。
「全員がすごい。誰が一番とか言えないよね」と言っていた。
今の文化を見る限り、お笑い芸人の地位が低いなんてことは決して言えないと思う。
追記
若山富三郎と三船敏郎は良く考えたら全員集合に出てましたね。あと丹波哲郎も晩年割とバラエティ出てた気がする。
つまり、その、偉くても出る人は出るってことで。
コメント