ebekoです。
ちょっと間が空きましたが、長者番付の続きです。1947~1949年長者番付はこちら
50年代は朝鮮戦争が勃発。それにより物資が大量に必要となり様々な産業が潤いました。
・1950年度長者番付
1位 高島末五郎 6529万円(真珠養殖業)
2位 佐藤卯三郎 4287万円(繊維業、丸新毛糸紡績所代表)
3位 黒沢貞次郎 4241万円(通信業)
4位 大宮庫吉 2987万円(宝酒造社長)
5位 田中伊三 2879万円(田中商店主)
6位 上田清次郎 2570万円(上田鉱業株式会社代表取締役社長)
7位 藤木久夫 2406万円(地下足袋製造)
8位 西村久之 2325万円(福江製氷社長、衆議院議員)
9位 大島清吉 2259万円(染物業)
10位 鈴木繁一 2109万円(鈴江組倉庫会長)
この前年、1949年に「シャウプ勧告」が発表。その中のひとつに法人税優遇制度がありました。そのため高額所得者が個人経営を法人組織に改め、顔ぶれががらっと変わる要因に。
・1951年度長者番付
1位 古谷博美 3億5077万円(石炭鉱業、匿名組合沖ノ山炭鉱など)
2位 潮村浪夫 1億3913万円(石炭鉱業)
3位 上田清次郎 1億3213万円(石炭鉱業)
4位 南俊二 1億624万円(造船業)
5位 西村帳七 8799万円 (石炭鉱業)
6位 山口慶八 8426万円(石炭鉱業)
7位 安部栄 8007万円(石炭鉱業)
8位 西村久之 7704万円(漁業)
9位 山田薪松 7283万円(石炭鉱業)
10位 広瀬安次 6484万円(広瀬鉱業社長)
朝鮮戦争による特需で「糸ヘン、金ヘン(繊維、金属や鉱石)」の業種が好況でした。その証拠に10人の内8人が石炭鉱業です。
ただしこれには「匿名組合」というカラクリがありました。
匿名組合は出資者が営業者に出資して、利益の一部を配当として得る契約形態でした。出資者(匿名組合員)の名前が公開されないのが由来だったようです。合資会社に近いとも言えます。
ただ合資会社は法人組織であるのに対し、匿名組合は個人名義でした。そしてトップの古谷さんの所得額も実際は古谷さん名義の匿名組合の売上高なのでした。
当時九州・中国地方の中小炭鉱業者の多くは、この形態で運営されていたとのこと。
まあエネルギー革命と前後して、勢いは失われていきましたが。
・1952年度長者番付
1位 古谷博美 3億1587万円(石炭鉱業)
2位 上田清次郎 1億7107万円(上田鉱業代表)
3位 広瀬安次 1億5300万円(広瀬鉱業社長)
4位 白川敏夫 1億847万円(石炭鉱業、匿名組合経営)
5位 上田富蔵 1億28万円(石炭鉱業、上田鉱業取締役)
6位 上田米蔵 1億13万円(石炭鉱業、上田鉱業取締役)
7位 西田隆男 9932万円(西田鉱業経営者)
8位 武内徳夫 8768万円(武内中山炭鉱経営)
9位 堀久作 8627万円(日活社長)
10位 野見山清蔵 8521万円(石炭鉱業)
この年も石炭鉱業主が多めです。
その理由の一つとしては、この石炭ブームの中で大手のストライキで上場企業の出炭率が大幅に減少。そのチャンスに個人業者が高値で石油を売りさばいた、という事情があるみたいです。
それにしても2位、5位、6位は兄弟なんですからすごいです。
・1953年度長者番付
1位 上田清次郎 1億7187万円(上田鉱業代表)
2位 広瀬安次 1億2622万円(広瀬鉱業社長)
3位 森田喜代八 7741万円(森田汽船社長)
4位 松下幸之助 6827万円(松下電器産業社長)
5位 近藤芳子 5861万円(近藤紡績所株主)
6位 渡辺治彦 4736万円(毛織業)
7位 武内徳夫 4254万円(武内中山炭鉱経営)
8位 近藤雅子 4247万円(近藤紡績所株主)
9位 井植歳男 4142万円(三洋電機社長)
10位 出光佐三 4126万円(出光興産社長)
ここで長者番付に長く登場する、松下幸之助が初ランクイン。8位と10位も有名ですね。
このあたりから長者番付の主役は石炭鉱業ではなく、巨大企業の創業者になっていきます。
ちなみに近藤芳子、雅子の父が相場師としても名高い近藤信男(次年度登場)。紡績業ながら株式取引を業務の一環として行い、会社の資本金は2000万円にもかかわらず20億円を稼ぎあげた人物です。
死去の前年に中山製鋼所の仕手戦に敗北していますが、この相手がこれまた長者として有名な糸山英太郎でした。
・1954年度長者番付
1位 井植歳男 1億1381万円(三洋電機社長)
2位 松下幸之助 9510万円(松下電器産業社長)
3位 山岡康人 8469万円(ヤンマーディーゼル副社長)
4位 上田清次郎 7546万円(上田鉱業代表)
5位 広瀬安次 7536万円(広瀬鉱業社長)
6位 出光佐三 6505万円(出光興産社長)
7位 近藤信男 5194万円(近藤紡績所社長)
8位 山本音三 4854万円(徳正炭鉱主)
9位 永田清 4852万円(日本ゴム社長)
10位 大宝弥男二 4637万円(鉱業)
「日本の電化元年」とも呼ばれたこの年、井植がトップに。松下幸之助の義弟でもあることを考えると、この一族が日本を活気づけたとも言えなくはないでしょう。
・1955年度長者番付
1位 松下幸之助 1億2056万円(松下電器産業社長)
2位 石橋正二郎 1億48万円(ブリヂストンタイヤ社長)
3位 井植歳男 9611万円(三洋電機社長)
4位 出光佐三 8819万円(出光興産社長)
5位 山本音三 7193万円(徳正炭鉱主)
6位 山岡康人 7001万円(ヤンマーディーゼル副社長)
7位 平岡仙之助 6567万円(平仙レース工場主)
8位 近藤信男 5101万円(近藤紡績所社長)
9位 中村国一 4760万円(中村合板製作所経営)
10位 中嶋雋吉 4660万円(中嶋鉱業所社長)
1~4位が大企業の経営者。石炭鉱業主の時代は終わった感じがします。幸之助の所得の大部分は株式配当だったみたいです。
この年の松下電器産業の資本金は33億円だったものの、10年後にはその10倍にもなっていました。
・1956年度長者番付
1位 松下幸之助 1億8130万円(松下電器産業社長)
2位 井植歳男 1億5283万円(三洋電機社長)
3位 石橋正二郎 1億2321万円(ブリヂストンタイヤ社長)
4位 木村秀吉 1億2003万円(木村鉛鉄機械工業所長)
5位 近藤信男 1億563万円(近藤紡績所社長)
6位 渡辺本治 1億102万円(炭鉱主)
7位 上田清次郎 9430万円(豊前炭鉱主)
8位 出光佐三 9005万円(出光興産社長)
9位 山本音三 8737万円(徳正炭鉱主)
10位 浦木清十郎 7696万円(山林業)
この年も社長や経営者がずらり。
・1957年度長者番付
1位 松下幸之助 2億1011万円(松下電器産業社長)
2位 片岡辰市 1億7667万円(若山炭鉱主)
3位 大森小太郎 1億4907万円(大森炭業社長)
4位 伊藤幸隆 1億4279万円(藤山炭鉱社長)
5位 井植歳男 1億3489万円(三洋電機社長)
6位 近藤新樹 1億3138万円(近藤商事社長)
7位 石橋正二郎 1億1111万円(ブリヂストンタイヤ社長)
8位 阪本栄一 1億332万円(阪本紡績社長)
9位 出光佐三 9385万円(出光興産社長)
10位 石川実蔵 8796万円(大明無煙炭主)
なべ底不況が来たというのに、長者番付では衰えは見えません。
6位の近藤は「インテリ相場師」「丸ビル将軍」の異名を持ちました。池田勇人首相の資金源としても活躍したようです。
・1958年度長者番付
1位 松下幸之助 2億3990万円(松下電器産業社長)
2位 藤山愛一郎 1億3029万円(外務大臣)
3位 石橋正二郎 1億1365万円(ブリヂストンタイヤ社長)
4位 大森小太郎 1億1130万円(大森炭業社長)
5位 鹿嶋守之助 1億700万円(鹿島建設社長)
6位 浦木清十郎 9710万円(山林業)
7位 井植歳男 9600万円(三洋電機社長)
8位 竹中錬一 8160万円(竹中工務店社長)
9位 鈴木常司 7670万円(ポーラ化粧品社長)
10位 中部謙吉 6720万円(大洋漁業社長)
2位の藤山は政治家としても有名だが、元々は実業家。政治家に転身したため退職金が大量に転がり込んだ結果らしい。岸内閣でいきなり外務大臣となった。
しかし総裁選に出馬するも惨敗、岸との関係も悪くなり、最終的には資産を使い果たしてしまったそうな。これだけの金があっても政治家となると足りないのかも。
・1959年度長者番付
1位 松下幸之助 2億5686万円(松下電器産業社長)
2位 出光佐三 1億7855万円(出光興産社長)
3位 鈴木常司 1億5681万円(ポーラ化粧品社長)
4位 竹中錬一 1億2813万円(竹中工務店社長)
5位 大倉喜七郎 1億1418万円(川奈ホテル社長)
6位 石橋正二郎 1億1127万円(ブリヂストンタイヤ社長)
7位 井植歳男 1億1125万円(三洋電機社長)
8位 阪本栄一 1億298万円(阪本紡績社長)
9位 高碕達之介 9767万円(衆議院議員)
10位 阿部雅信 7626万円(阿部製材所社長)
5位の大倉は大倉喜八郎の長男。「趣味人」とも呼ばれたが、株式投資で成功。目は確かだったらしい。また大倉財閥の傘下だった帝国ホテルに役員就任を拒まれたことをきっかけに、ホテルオークラを作った。
60年代はどうなるのやら。
ちょっと間が空きましたが、長者番付の続きです。1947~1949年長者番付はこちら
50年代は朝鮮戦争が勃発。それにより物資が大量に必要となり様々な産業が潤いました。
・1950年度長者番付
1位 高島末五郎 6529万円(真珠養殖業)
2位 佐藤卯三郎 4287万円(繊維業、丸新毛糸紡績所代表)
3位 黒沢貞次郎 4241万円(通信業)
4位 大宮庫吉 2987万円(宝酒造社長)
5位 田中伊三 2879万円(田中商店主)
6位 上田清次郎 2570万円(上田鉱業株式会社代表取締役社長)
7位 藤木久夫 2406万円(地下足袋製造)
8位 西村久之 2325万円(福江製氷社長、衆議院議員)
9位 大島清吉 2259万円(染物業)
10位 鈴木繁一 2109万円(鈴江組倉庫会長)
この前年、1949年に「シャウプ勧告」が発表。その中のひとつに法人税優遇制度がありました。そのため高額所得者が個人経営を法人組織に改め、顔ぶれががらっと変わる要因に。
・1951年度長者番付
1位 古谷博美 3億5077万円(石炭鉱業、匿名組合沖ノ山炭鉱など)
2位 潮村浪夫 1億3913万円(石炭鉱業)
3位 上田清次郎 1億3213万円(石炭鉱業)
4位 南俊二 1億624万円(造船業)
5位 西村帳七 8799万円 (石炭鉱業)
6位 山口慶八 8426万円(石炭鉱業)
7位 安部栄 8007万円(石炭鉱業)
8位 西村久之 7704万円(漁業)
9位 山田薪松 7283万円(石炭鉱業)
10位 広瀬安次 6484万円(広瀬鉱業社長)
朝鮮戦争による特需で「糸ヘン、金ヘン(繊維、金属や鉱石)」の業種が好況でした。その証拠に10人の内8人が石炭鉱業です。
ただしこれには「匿名組合」というカラクリがありました。
匿名組合は出資者が営業者に出資して、利益の一部を配当として得る契約形態でした。出資者(匿名組合員)の名前が公開されないのが由来だったようです。合資会社に近いとも言えます。
ただ合資会社は法人組織であるのに対し、匿名組合は個人名義でした。そしてトップの古谷さんの所得額も実際は古谷さん名義の匿名組合の売上高なのでした。
当時九州・中国地方の中小炭鉱業者の多くは、この形態で運営されていたとのこと。
まあエネルギー革命と前後して、勢いは失われていきましたが。
・1952年度長者番付
1位 古谷博美 3億1587万円(石炭鉱業)
2位 上田清次郎 1億7107万円(上田鉱業代表)
3位 広瀬安次 1億5300万円(広瀬鉱業社長)
4位 白川敏夫 1億847万円(石炭鉱業、匿名組合経営)
5位 上田富蔵 1億28万円(石炭鉱業、上田鉱業取締役)
6位 上田米蔵 1億13万円(石炭鉱業、上田鉱業取締役)
7位 西田隆男 9932万円(西田鉱業経営者)
8位 武内徳夫 8768万円(武内中山炭鉱経営)
9位 堀久作 8627万円(日活社長)
10位 野見山清蔵 8521万円(石炭鉱業)
この年も石炭鉱業主が多めです。
その理由の一つとしては、この石炭ブームの中で大手のストライキで上場企業の出炭率が大幅に減少。そのチャンスに個人業者が高値で石油を売りさばいた、という事情があるみたいです。
それにしても2位、5位、6位は兄弟なんですからすごいです。
・1953年度長者番付
1位 上田清次郎 1億7187万円(上田鉱業代表)
2位 広瀬安次 1億2622万円(広瀬鉱業社長)
3位 森田喜代八 7741万円(森田汽船社長)
4位 松下幸之助 6827万円(松下電器産業社長)
5位 近藤芳子 5861万円(近藤紡績所株主)
6位 渡辺治彦 4736万円(毛織業)
7位 武内徳夫 4254万円(武内中山炭鉱経営)
8位 近藤雅子 4247万円(近藤紡績所株主)
9位 井植歳男 4142万円(三洋電機社長)
10位 出光佐三 4126万円(出光興産社長)
ここで長者番付に長く登場する、松下幸之助が初ランクイン。8位と10位も有名ですね。
このあたりから長者番付の主役は石炭鉱業ではなく、巨大企業の創業者になっていきます。
ちなみに近藤芳子、雅子の父が相場師としても名高い近藤信男(次年度登場)。紡績業ながら株式取引を業務の一環として行い、会社の資本金は2000万円にもかかわらず20億円を稼ぎあげた人物です。
死去の前年に中山製鋼所の仕手戦に敗北していますが、この相手がこれまた長者として有名な糸山英太郎でした。
・1954年度長者番付
1位 井植歳男 1億1381万円(三洋電機社長)
2位 松下幸之助 9510万円(松下電器産業社長)
3位 山岡康人 8469万円(ヤンマーディーゼル副社長)
4位 上田清次郎 7546万円(上田鉱業代表)
5位 広瀬安次 7536万円(広瀬鉱業社長)
6位 出光佐三 6505万円(出光興産社長)
7位 近藤信男 5194万円(近藤紡績所社長)
8位 山本音三 4854万円(徳正炭鉱主)
9位 永田清 4852万円(日本ゴム社長)
10位 大宝弥男二 4637万円(鉱業)
「日本の電化元年」とも呼ばれたこの年、井植がトップに。松下幸之助の義弟でもあることを考えると、この一族が日本を活気づけたとも言えなくはないでしょう。
・1955年度長者番付
1位 松下幸之助 1億2056万円(松下電器産業社長)
2位 石橋正二郎 1億48万円(ブリヂストンタイヤ社長)
3位 井植歳男 9611万円(三洋電機社長)
4位 出光佐三 8819万円(出光興産社長)
5位 山本音三 7193万円(徳正炭鉱主)
6位 山岡康人 7001万円(ヤンマーディーゼル副社長)
7位 平岡仙之助 6567万円(平仙レース工場主)
8位 近藤信男 5101万円(近藤紡績所社長)
9位 中村国一 4760万円(中村合板製作所経営)
10位 中嶋雋吉 4660万円(中嶋鉱業所社長)
1~4位が大企業の経営者。石炭鉱業主の時代は終わった感じがします。幸之助の所得の大部分は株式配当だったみたいです。
この年の松下電器産業の資本金は33億円だったものの、10年後にはその10倍にもなっていました。
・1956年度長者番付
1位 松下幸之助 1億8130万円(松下電器産業社長)
2位 井植歳男 1億5283万円(三洋電機社長)
3位 石橋正二郎 1億2321万円(ブリヂストンタイヤ社長)
4位 木村秀吉 1億2003万円(木村鉛鉄機械工業所長)
5位 近藤信男 1億563万円(近藤紡績所社長)
6位 渡辺本治 1億102万円(炭鉱主)
7位 上田清次郎 9430万円(豊前炭鉱主)
8位 出光佐三 9005万円(出光興産社長)
9位 山本音三 8737万円(徳正炭鉱主)
10位 浦木清十郎 7696万円(山林業)
この年も社長や経営者がずらり。
・1957年度長者番付
1位 松下幸之助 2億1011万円(松下電器産業社長)
2位 片岡辰市 1億7667万円(若山炭鉱主)
3位 大森小太郎 1億4907万円(大森炭業社長)
4位 伊藤幸隆 1億4279万円(藤山炭鉱社長)
5位 井植歳男 1億3489万円(三洋電機社長)
6位 近藤新樹 1億3138万円(近藤商事社長)
7位 石橋正二郎 1億1111万円(ブリヂストンタイヤ社長)
8位 阪本栄一 1億332万円(阪本紡績社長)
9位 出光佐三 9385万円(出光興産社長)
10位 石川実蔵 8796万円(大明無煙炭主)
なべ底不況が来たというのに、長者番付では衰えは見えません。
6位の近藤は「インテリ相場師」「丸ビル将軍」の異名を持ちました。池田勇人首相の資金源としても活躍したようです。
・1958年度長者番付
1位 松下幸之助 2億3990万円(松下電器産業社長)
2位 藤山愛一郎 1億3029万円(外務大臣)
3位 石橋正二郎 1億1365万円(ブリヂストンタイヤ社長)
4位 大森小太郎 1億1130万円(大森炭業社長)
5位 鹿嶋守之助 1億700万円(鹿島建設社長)
6位 浦木清十郎 9710万円(山林業)
7位 井植歳男 9600万円(三洋電機社長)
8位 竹中錬一 8160万円(竹中工務店社長)
9位 鈴木常司 7670万円(ポーラ化粧品社長)
10位 中部謙吉 6720万円(大洋漁業社長)
2位の藤山は政治家としても有名だが、元々は実業家。政治家に転身したため退職金が大量に転がり込んだ結果らしい。岸内閣でいきなり外務大臣となった。
しかし総裁選に出馬するも惨敗、岸との関係も悪くなり、最終的には資産を使い果たしてしまったそうな。これだけの金があっても政治家となると足りないのかも。
・1959年度長者番付
1位 松下幸之助 2億5686万円(松下電器産業社長)
2位 出光佐三 1億7855万円(出光興産社長)
3位 鈴木常司 1億5681万円(ポーラ化粧品社長)
4位 竹中錬一 1億2813万円(竹中工務店社長)
5位 大倉喜七郎 1億1418万円(川奈ホテル社長)
6位 石橋正二郎 1億1127万円(ブリヂストンタイヤ社長)
7位 井植歳男 1億1125万円(三洋電機社長)
8位 阪本栄一 1億298万円(阪本紡績社長)
9位 高碕達之介 9767万円(衆議院議員)
10位 阿部雅信 7626万円(阿部製材所社長)
5位の大倉は大倉喜八郎の長男。「趣味人」とも呼ばれたが、株式投資で成功。目は確かだったらしい。また大倉財閥の傘下だった帝国ホテルに役員就任を拒まれたことをきっかけに、ホテルオークラを作った。
60年代はどうなるのやら。
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