ebekoです。


80年代~90年代にかけて、政界の中で力を持ったのが竹下派(経世会)である。
田中派を継いだ(「乗っ取った」に近いが)、自民党の最大派閥である。


七奉行



もちろん派閥の親分である竹下登、金丸信だけでなくその子飼いの子分も、大きな力をふるった。
その著名な子分を「竹下派七奉行」という。

しかしその後その幹部たちが順調な政治生活を送れたかと言うと、そうでもない。
簡単に言うと、派の中で「竹下チーム」と「金丸チーム」に分かれて争うようになったからだ



そして2001年には小泉純一郎の登場により、主流派閥は清和会へと移ってしまった。
栄枯盛衰とはこのことかもしれない。

今回はそんな奉行たちの、その後を見ていこう。





<竹下チーム>


小渕恵三

竹下の実質的な後継者。竹下内閣の官房長官時代に「平成おじさん」として有名に。
「人柄の小渕」と呼ばれ、敵が少なかったのも特徴。橋本の跡を継ぐ形で総理に就任。

就任当初の支持率は低かったものの、いろいろなパフォーマンスで徐々に支持率を上げていった稀有な存在。
しかし総理在任中に病に倒れ(のち退陣)、死去。

同年に竹下も死去。小渕以降の後継者が育っていなかったことから、竹下→小渕の系譜である経世会は勢力を弱めていくことになる。



橋本龍太郎

甘いマスクで、女性の「龍サマ」人気をつかみ、90年代初頭には総理候補に。
しかしその反面、不勉強な相手を徹底的にやりこめるなどの気障な面があり、一匹狼であった。

自民党の政権奪還後総理を2年以上務めたが、不良債権問題などの責任を取って退陣。
その後再度総裁選に立候補するも、小泉純一郎に敗れる。

その後は後継者がいない、旧小渕派の暫定のボスとして活動を続けていたが(橋本本人も向いてないのを分かって承知した)、歯科医師会からの献金問題が発覚。政界も引退するがその後亡くなる。



(梶山静六)

新党分裂の際自民党に残ったが、本来は竹下より金丸に近い。だが一応竹下派扱い。
宮沢内閣時代に幹事長を務め、橋本内閣では官房長官を務めた。

ただし55年体制の幕引きのタイミングで幹事長となったため、総選挙で大敗したあと党内からは戦犯扱いされた。

しかも竹下からは「幹事長から官房長官になったやつがいる」と揶揄されたように、後継者としては見られていなかった模様。
総裁選にも出たものの、小渕に敗北。その後まもなく死去。





<金丸チーム>


小沢一郎

2022年現在、竹下派七奉行唯一の存命者。自民党幹事長時代は大きな権力をふるった。
その反面独断専行も目立ち、派内でも「一・六戦争(小沢と梶山の争い)」「一・龍戦争(小沢と橋本の争い)」などの対立を引き起こした。

自民党離党後も自自連立で与党となったり、民主党の党首になったりと、「野党の顔」的存在だった。

しかしそのあとは党をころころ変えるなど迷走。権力者だった時代の面影はなく、小選挙区で落選するほどに。先日の事件に関する発言も問題視された。



奥田敬和

重要閣僚や党三役などのポストを務めたことはなく、どちらかというと裏方での活躍のほうが多かった。
重要ポストに着けなかったのは、竹下派旗揚げ時に参加しなかったことも原因か。

そのせいか他の七奉行と比べ、知名度が微妙な気が……。その後結構早くに死去。



羽田孜

新党ブームに乗り(新生党党首)総理となるも、すぐ退陣。実績は「省エネルック」「官邸直通のファックス設置」くらいのもの。
その後は民主党の最高顧問になったりするも、ほとんど目立たなかった。

金丸に近かったはずだが、その金丸の評価も「平時の羽田孜」という良いんだか悪いんだか、というレベル。
そして自民党時代の迷走で、金丸にも愛想をつかされたという。

人の悪口を言わない竹下からも「ここまで無定見とは知らなかった」と言われてしまった。
両ボスから信頼を失うという時点で、羽田の能力の限界は見えていたかも。



渡部恒三

「おしゃべり恒三」と呼ばれ、竹下派の旗揚げに誘われなかったという逸話を持つ。
また議員の中では、ユーモアのある発言ができるタイプだった。

ただし初当選時、当時の幹事長田中角栄の追加公認の誘いを一度断るなど、頑固な面もあった。


自民党政権で、厚生大臣や通産大臣を務めた後、新進党に参加。その後民主党に入党。
自民党と民主党の両方で、国会対策委員長を務めるなど、どちらかというと裏方としての活躍が多かった。

引退後に死去。晩年小沢一郎との確執が噂されたが、七奉行の中では、一番幸せな晩年を迎えられたという見方もできるかも。





「YKK」「麻垣康三」の時代もほぼ終わり、政治の中心となってるのは次の世代。
竹下派七奉行はすっかり昔の存在になってしまった。