ebekoです。
どんどん進む、自民党の派閥の解散。
森山派や谷垣グループなどの解散も決まった。
で(旧)安倍派に対して「責任とれや」ってことで、茂木幹事長が議員辞職を求めているとのこと。
なんかボスがいなくなったら、ボロボロだなあ安倍派。
しかし歴代の宏池会の会長の中でも、岸田首相は肝が座ったというか、思い切ったことの出来る人物だと思う(それが良い方に転ぶかは別として)。
どんどん進む、自民党の派閥の解散。
森山派や谷垣グループなどの解散も決まった。
で(旧)安倍派に対して「責任とれや」ってことで、茂木幹事長が議員辞職を求めているとのこと。
なんかボスがいなくなったら、ボロボロだなあ安倍派。
しかし歴代の宏池会の会長の中でも、岸田首相は肝が座ったというか、思い切ったことの出来る人物だと思う(それが良い方に転ぶかは別として)。
だってかつては「お公家さん」と呼ばれて、「政策には明るいが、政争はまるでダメ」というのが宏池会についての評価だったのだ。
だから戦いの時は、野武士集団(主に田中派)に頼ったりして。
じゃあそう言われる宏池会はどんな人たちが歴史を紡いできたのか。
初代の池田勇人を除く、歴代の会長(途中で分裂した河野洋平→麻生太郎の「現・志公会」は別とします)を見てみましょう。
地元の京都でも、国会進出しようとする野中広務(竹下登の知遇はあっても、まだ一地方議員なのに)に手を焼いた。
……ベテランではあったが、それだけ力量は微妙ということか。
<3代目 大平正芳>
元大蔵官僚で池田の秘書出身。支持されなかった半ば前尾を追い落とす形で会長に。
「お父ちゃん」と呼ばれ、親しまれた。
ただしキャリアは十分だが、盟友である田中角栄の力を借りてる部分が多かった。
元大蔵官僚で池田の秘書出身。支持されなかった半ば前尾を追い落とす形で会長に。
「お父ちゃん」と呼ばれ、親しまれた。
ただしキャリアは十分だが、盟友である田中角栄の力を借りてる部分が多かった。
その田中からも影で「あいつは宗教家」と呼ばれるように、政治家としては少し微妙な評価だった。
総裁選で福田赳夫に勝利し総理になるも、心労がたたって在任中に死去。
総裁選で福田赳夫に勝利し総理になるも、心労がたたって在任中に死去。
<4代目 鈴木善幸>
現財務大臣、鈴木俊一の父。麻生太郎の親戚でもある。
「ハプニング解散」での総選挙中に、大平が急逝したため会長に(他に伊東正義などの候補もいたが、固辞されたのでお鉢が回ってきた)。
ただアメリカの新聞に「ゼンコー フー?」と書かれたように、知名度はほぼなく、総務会長や官房長官の経験はあるが、全く総裁候補ではなかった。
現財務大臣、鈴木俊一の父。麻生太郎の親戚でもある。
「ハプニング解散」での総選挙中に、大平が急逝したため会長に(他に伊東正義などの候補もいたが、固辞されたのでお鉢が回ってきた)。
ただアメリカの新聞に「ゼンコー フー?」と書かれたように、知名度はほぼなく、総務会長や官房長官の経験はあるが、全く総裁候補ではなかった。
調整型といえば聞こえは良いが、田中の操り人形。
<5代目 宮澤喜一>
大平と同じく、大蔵官僚で池田の秘書出身(ただし前尾支持のため、大平との関係は良くなかった)。
早くから通産大臣などのキャリアを積み、ニューリーダーとして名を馳せるが、エリート気質で性格に難ありのため、味方は少なめ。
早くから通産大臣などのキャリアを積み、ニューリーダーとして名を馳せるが、エリート気質で性格に難ありのため、味方は少なめ。
田中角栄との関係がかなり悪かったことも総理になるのが遅れた原因と言える。
大平没後、派閥のために動いていれば、そのまま宮澤が総理になれたという見方もあり。
総理にもなったが、総選挙で大敗し55年体制を終わらせた。
宏池会のプリンスと呼ばれ、順調に出世。
YKKの一人として頭角を現す。
YKKの一人として頭角を現す。
しかしかの「加藤の乱」を起こし失脚。本来は味方だったはずの野中(当時幹事長)に鎮圧される。
根回しが不十分だったのか、YKKの同志である小泉純一郎や前会長の宮澤にも特に味方されず。
ここまでの政局の読めなさは、いかにも「お公家さん」といった感じ。
なにせ総理の椅子が欲しかったのか、当時のネットの支持(当時のネット人口って少ないと思う)を当てにしたり野党とまで組もうとしたし。
根回しが不十分だったのか、YKKの同志である小泉純一郎や前会長の宮澤にも特に味方されず。
ここまでの政局の読めなさは、いかにも「お公家さん」といった感じ。
なにせ総理の椅子が欲しかったのか、当時のネットの支持(当時のネット人口って少ないと思う)を当てにしたり野党とまで組もうとしたし。
実は裏での態度が良くなかったことが、佐々淳行などに暴露されている。
亀井静香の著書でも「見通しが甘かった」とバッサリ切られてます。……で、この後さらに「加藤派・堀内光雄派」「小里貞利派・丹羽雄哉&古賀誠派」「谷垣派・古賀派」と細かく分裂(=誰が何代目会長か、カウントが難しい)。
で最終的に合流して「古賀派」に。
<前会長 古賀誠>
加藤の側近と言われたが、加藤の乱では野中側につく。
そのせいか小泉や安倍とは割と距離を置くことが多かった(かと思えば麻生より福田康夫を支持したりもしてたが)。
仮に宏池会に近い人でも、支持するとは限らない。
そんなところが派閥を混乱させた。
主観だがいろんな本を読む限り、野中の弟分みたいな感じ。
加藤の乱のあとで野中から禅譲される形で幹事長にもなったが、実権は野中が握っていたと言われる。
最近は目立たないが、幹事長の他に国対委員長や選対委員長を経験したこともあり、それなりの影響力は残ってるらしい。
宏池会の事務局も、古賀派の人が多いとのこと。
といったように、他の派閥と戦うどころか派閥内で争ってる面々が多め。
外で戦おう(派閥での総裁候補の選出)にも、まとまりがない。
よくこんなゴタゴタした集団から、「派閥解散!!」なんて言える人が出てきたものだな、と思う。
加藤の側近と言われたが、加藤の乱では野中側につく。
そのせいか小泉や安倍とは割と距離を置くことが多かった(かと思えば麻生より福田康夫を支持したりもしてたが)。
仮に宏池会に近い人でも、支持するとは限らない。
そんなところが派閥を混乱させた。
主観だがいろんな本を読む限り、野中の弟分みたいな感じ。
加藤の乱のあとで野中から禅譲される形で幹事長にもなったが、実権は野中が握っていたと言われる。
最近は目立たないが、幹事長の他に国対委員長や選対委員長を経験したこともあり、それなりの影響力は残ってるらしい。
宏池会の事務局も、古賀派の人が多いとのこと。
といったように、他の派閥と戦うどころか派閥内で争ってる面々が多め。
外で戦おう(派閥での総裁候補の選出)にも、まとまりがない。
よくこんなゴタゴタした集団から、「派閥解散!!」なんて言える人が出てきたものだな、と思う。
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