ebekoです。



ある声優が

「私は幸か不幸か、なんでもそれなりに出来てしまう『器用貧乏』である。出来ないこともそんなにないけれど、とりわけ出来ることもなかった」

と自分のことを語っていた。 
で「大人に褒められるため」という理由で、勉学に励むようになったと。


……正直私としてはうらやましい限りである。
良いじゃん、それが一種の才能じゃん。不器用貧乏の私に謝ってほしい

だいたい、子供の『とりわけ出来る』なんて高確率で井の中の蛙でしかないし。
小さいコミュニティの中でたまたま優秀なだけだ。

目的は何であれ努力できるのがすごい。




私なんかできることの方が少なかった。
体育ダメ、手先ダメ、コミュ力ダメ、発想力ダメ、喧嘩ダメ。

学力がかろうじて平均レベルだったくらい。
……と思っていたが、中学で平均以下であることに気づいた(で塾に入った)。

ダメすぎて出来る人が情けをかけてくれたくらい
家庭科の作品なんか小学生の時は友達が完成させ、中学の時は見かねた先生(元担任)がやってくれた。


20年以上生きてきたが、メジャーな分野(スポーツ・勉学)で目立ったことがない。
学校でやってた先生のものまねとか、他にやる人がいないから必然的にトップになってただけ。





そんなコンプレックスがあるため、「この先の人生で良いからなんとしてでも勝ちたい」という思いがある。
当時勝てなかった分野で。

50歳になってからめちゃくちゃ鍛えて、筋骨隆々になってスポーツできるようになりたい
あるいは急に医学部に合格したい。


ポテンシャルではなく練習量でその差を埋めるのだ。
何より、何もしてなければ相手は頭も体も衰えていく時期そこがチャンス

30年以上何もしてない元テニス部と、始めたのは最近だけど必死にテニスを練習した人だったら後者の方が圧倒的に強いはず。




私だけ練習量で衰えに抗う。
これなら勝機が見えてくる。

その際、必死の練習や鍛錬を完全に隠して「軽くスポーツでもしませ~ん?」と誘う。
結果、圧勝

そして「ebekoさんって実はハイスペックだったんですね」という評価を得るのだ。

50代になってそんなことに付き合ってくれる旧友がいるかどうかだが。



とりあえず声優業界に入って、この方に「器用貧乏なだけ良いだろ!!」っていちゃもんつけてくるかな。